過食嘔吐のきっかけとは「地獄に落ちた理由」

ダイエット
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過食嘔吐を始めるきっかけ

前回は私がこのブログを始めた理由をお話ししましたが、今日は私の摂食障害の始まりについて、お話しします。最初は痩せたいという単純な理由だったのにそこのとが一生を左右するような出来事になったんです。

私は、中学生まで成績優秀で進学校と呼ばれる高校に合格したんですが、合格した途端、燃え尽き症候群となり、教科書さえ開かないようになっていました。

暇つぶしするように、ご飯を食べ、時間を潰すようにお菓子を食べ、どんどん太っていきました。おしゃれ?ファッション?そんなものに全く興味がなく、ただひたすら何か楽しいことないかな、素敵な彼氏が欲しいなみたいな、と3年間何もしなかったので、大学受験は見事に全滅してしまいました。

二次募集で拾ってもらった短大の名前を両親に告げた時、気まずい沈黙があり今でも忘れられません。そんなところに通わせるために東京へ行かせる金はない!と心はズタボロでしたが、母が女の子だから「浪人したら恥ずかしい、嫁にいけない」と言って、毎月生活費をもらいながら短大生活が始まりました。Fラン大学っていうかFラン短大、少子化で今はなくなりました。

痩せたらキレイになれるはず

18歳で福岡から上京した私は、ただの田舎者でした。

短大に入学した初日、私は愕然としました。

周りの女の子たちは
髪の毛はふわふわでツヤツヤ
メイクも完璧
服装もおしゃれで統一感がある
バッグも靴も、何もかもが洗練されたブランド物

そして私はというと、スーパーのビニール袋とかデパートの紙袋を物入れにする、今思い出すのも恥ずかしい出で立ちですが、その時気づく余裕もありませんでした。

服装は、組み合わせ方が分からず、いつも同じような格好で、色の組み合わせもセンスなし。

持ち物は、教科書やノートを入れるのに紙袋を使いペンケースも小学生が使うようなプラスチック製。

髪型は、おかっぱ以外の髪型がわからず、スタイリングの仕方も知らないので、いつもボサボサでした。

体型は、高校時代から続く過食で、明らかにデブです。夏は脂肪の隙間にあせも、歩くと地響きがすると笑われました。

コンプレックスは限界

友達ができない理由が痛いほど分かりました。

同じクラスの女の子たちは
おしゃれな服を着こなしている
博多弁を話す人はいない
育ちがいい(家が金持ち)
下から上がってくる人はみんな仲良し

私は彼女たちと話すことすらできませんでした。話しかけたくても、自分があまりにも場違いで、恥ずかしくて、声をかけることができなかったんです。だから一緒に行動する友達はいませんでした。

ダイエットのきっかけ

そんなある日、雑誌を見ていて気づいたんです。

「私がダサいのは、太っているからだ」

モデルさんたちはみんな細くて、どんな服も素敵に着こなしている。きっと私も痩せれば、あんな風におしゃれな服が着られるはず。

この勘違いが、すべての始まりでした。

私は服のセンスがないのではなく、太っているからおしゃれな服が似合わないだけ。痩せれば全てが解決する。そう信じ込んでしまったんです。

過食嘔吐のきっかけ

大学1年生の時、サークルの飲み会に参加しました。

どこにも居場所がない私は、何にでも参加してみよう!という一心だったんです。

でも、そこで起きたのはビールの一気飲みの連続。

ビール一気飲みの解決法

「吐けば楽になるから」

その瞬間、私の中で何かが繋がりました。

吐けば楽になる。
食べても吐けばいい。
痩せるために吐けばいい。

こうして、20年間続く摂食障害の地獄が始まったのです。

過食嘔吐の始まり

ダイエットのつもりが地獄への道

最初は「ダイエット方法の一つ」だと思っていました。

好きなものを食べる
吐いてしまえばカロリーはゼロ
痩せておしゃれな服が着られる

なんて都合の良い方法だろうと思ったんです。

でも現実は違いました。

週1回から始まった過食嘔吐は
週2回になり
週3回になり
気づけば毎日嘔吐するようになりました。
そして最終的には1日に何回も食べては吐くを繰り返すのです。

初期よくのコントロールが効かなくなって、どれくらい食べるのが普通なのかもわからなくなっていました。

20年間の苦しみ

JAL時代も続いた地獄

短大を卒業してJALに入社しても、過食嘔吐は止まりませんでした。

国際線の客室乗務員として働きながら
フライトの合間に隠れて過食嘔吐
同僚にバレないよう必死に隠す
エラが張り、顔がむくむ
貧血で何度も体調を崩す

外見は華やかなCAでも、心の中は地獄でした。

結婚、出産という人生の節目を迎えても、摂食障害だけは治りませんでした。20年以上、私はこの病気に支配され続けてきたんです。

過食嘔吐回復のきっかけ

 ヨガとの出会い

35歳で、これは病気なんだと気づいて心療内科での治療を経て、ようやく過食嘔吐から解放されました。

でも今度は「この先どう生きていけばいいのか」という新たな不安が襲いました。

そんな時、出会ったのがヨガでした。

最初は「体力もないし…」と躊躇していました。でも、一歩踏み出してみると、そこには今まで経験したことのない世界が広がっていました。

2人目の出産後、68kgあった体重が、ヨガを通じて52kgの適正体重まで下がったのです。しかし、それ以上に大切だったのは、体重の数字ではありませんでした。吐かなくても痩せたという現実が私の中の常識をくつがえしてくれたのです。

《ダイエットいらず》のカラダへ。

深呼吸

ヨガを始めて気づいたのは今まで緊張の連続で呼吸をきちんとしていなかったってことなんです。

自分の体が限界だってことに気づいて、深い呼吸で心が整い、ヨガは一人でやるので他人と比較しないでいい気楽さがありました。

20年間苦しんだ摂食障害が、ヨガを通じて寛解していったのです。

過食嘔吐で絶望の淵

もし、私と同じような悩みを抱えている方がいらしたら、いつか回復することを信じてください。

私は
Fラン短大出身
センスがない
友達もいない
ビニール袋を物入れにしていた

そんな私でも、35歳から新しい人生をスタートできました。

摂食障害はやっかいな病気です。
でも、人生は何歳からでもやり直せます。

私の回復のきっかけとなったヨガは自宅でやっても大丈夫なんですが、やはり外に出ることで過食から離れる時間を作れます。初心者でも安心して始められるので興味がある方は見学でもしませんか。

ホットヨガ

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あなたは絶対立ち直れます。何歳からでも遅くありません、諦めないでください。

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