プロフィール

軽いダイエットから始まった地獄の始まり

元JAL国際線客室乗務員(30年勤務)

摂食障害歴20年 → ヨガで回復 → 現在53歳

体重変遷:68kg → 48kg → 52kg(適正体重)→ 現在58kg(更年期・自己受容)

このブログを読んでくださっているあなたへ。もしも今、食べることで悩んでいるなら、その絶望わかります。私の体験が、少しでも参考になるといいなと思い、苦しい過去も含めて、お話しします。

進学校から短大へ – 人生初の挫折

中学生までの私は、成績優秀で何不自由なく過ごしていました。福岡では進学校として知られる修猷館高校に合格した時は、両親も誇らしげでした。しかし高校に入ると、まるで抜け殻のようになってしまったのです。

何も考えず、ただ暇つぶしをするようにお菓子を食べ続け、みるみる太っていきました。おしゃれにもファッションにも全く興味がなく、「何か楽しいことないかな」「素敵な彼氏が欲しいな」といった、まるで中身のないピーマンのような毎日を過ごしていました。

勉強への情熱を完全に失い、大学受験は見事に全滅。二次募集で拾ってもらった短大の名前を両親に告げた時の、あの気まずい沈黙は今でも忘れることができません。「そんなところに通わせるために東京へ行かせる金はない!」という両親の言葉に、心はズタボロになりました。

「女の子だから浪人したら恥ずかしい、嫁にいけない」そう言われ、深い罪悪感を抱きながら短大に通うことになったのです。

上京 – 田舎娘が見た東京の現実

18歳で福岡から上京した私は、ただの田舎者でした。短大の入学初日、私は愕然としました。周りの女の子たちは髪の毛がふわふわでツヤツヤ、メイクも完璧、服装もおしゃれで統一感があり、バッグも靴も何もかもが洗練されたブランド物だったのです。

一方の私は、色の組み合わせもセンスなし、教科書やノートを入れるのに紙袋を使い、ペンケースも小学生が使うようなプラスチック製。髪型はおかっぱで、スタイリングの仕方が分からずいつもボサボサ。高校時代から続く過食で明らかに太っており、夏は脂肪の隙間にあせもができ、歩くと地響きがするような状態でした。

同じクラスの女の子たちはみんなおしゃれで、育ちがよく、私一人だけが博多弁を話していました。あまりにも場違いで恥ずかしくて、誰にも声をかけることができませんでした。友達ができない理由が痛いほど分かったのです。

軽いダイエットから始まった地獄の始まり

「痩せたら着れる服がある」かもしれない

そんなある日、雑誌を見ていて気づいたのです。「私がダサいのは、太っているからだ」と。モデルさんたちはみんな細くて、どんな服も素敵に着こなしている。きっと私も痩せれば、あんな風におしゃれな服が着られるはず。

最初は本当に軽い気持ちでした。

私は服のセンスがないのではなく、太っているからおしゃれな服が似合わないだけ。痩せれば全てが解決する。そう信じ込んでしまったのです。この勘違いが、すべての始まりでした。

飲み会

大学1年生の時、どこにも居場所がない私は「何にでも参加してみよう!」という一心で、サークルの飲み会に参加しました。体育会系のサークルだったのでビールの一気飲みが流行っている時代でした。

友達ができた喜びや、飲み会で笑える楽しさで、限界まで飲みまくっていました。

「吐けば楽になるから」

と先輩に教えられたとき、トイレで吐いたら、すっきりして、またビールの一気飲みができたんです。

その瞬間、私の中で何かが繋がりました。吐けば楽になるっていうか、食べても吐けばいい。痩せるために吐けばいい。こうして、20年間続く摂食障害の地獄が始まったのです。

過食嘔吐の始まり

最初は「ダイエット方法の一つ」だと思っていました。好きなものを食べて、吐いてしまえばカロリーはゼロ。痩せておしゃれな服が着られる。なんて都合の良い方法だろうと思ったのです。

しかし現実は違いました。週1回から始まった過食嘔吐は、週2回になり、週3回になり、気づけば毎日、1日に何度も繰り返すようになっていました。もはやコントロールが効かない状態でした。

就職後も続いた苦しみ

短大を卒業してJALに入社しても、過食嘔吐は止まりませんでした。国際線の客室乗務員として働きながら、フライトの合間に隠れて過食嘔吐を続け、同僚にバレないよう必死に隠していました。

エラが張り、顔がむくみ、貧血で何度も体調を崩しました。外見は華やかなCAでも、心の中は地獄だったのです。結婚、出産という人生の節目を迎えても、摂食障害だけは治りませんでした。20年以上、私はこの病気に支配され続けてきました。

摂食障害がもたらした深刻な健康被害

軽いダイエットから始まった過食嘔吐は、その後の私の人生を病気の連続にしました。

• 大腸がんステージⅢ – 若い時の摂食障害と下剤の乱用が原因です。

• 甲状腺機能異常 – ホルモンバランスの不安定が続いたのも過食嘔吐が原因です。

• 慢性的な貧血 – フライト業務に支障をきたすほど深刻

• 顔の腫れとむくみ – 唾液腺の腫れで容姿に影響

• くも膜下出血 – フライトで、一日何度も繰り返す離着陸の気圧差と過労

ヨガとの出会い

35歳で、これは病気なんだと気づいて心療内科での治療を経て、ようやく過食嘔吐から解放されました。しかし今度は「この先どう生きていけばいいのか」という新たな不安が襲いました。

そんな時、出会ったのがヨガでした。最初は「体力もないし…」と躊躇していましたが、一歩踏み出してみると、心が開放される感覚になれる世界でした。

2人目の出産後、68kgあった体重が、ヨガを通じて52kgの適正体重まで下がったのです。しかし、それ以上に大切だったのは、過食嘔吐をしなくても痩せられたことへの気付きでした。

私が通ったヨガは、温かい部屋で呼吸をしながらゆっくり進むリラックスヨガだったので、少しずつ食への執着も 和らぎました。

《ダイエットいらず》のカラダへ。

ヨガ教室

ヨガはチームプレイではないので誰とも会話する必要がありません。ただ自分と向き合い、頭を空っぽにできます。呼吸に集中することで今まで深呼吸することさえしせずに常に何かに煽られているように必死に生きていたと気づきました。そして何よりもヨガに通うという予定ができたことで引きこもりがちだった生活に変化がでてきたんです。

約20年間苦しんだ摂食障害が、吐かなくても痩せることができたことで寛解していったのです。

更年期

現在53歳の私は、更年期を迎え体重は58kgになりました。以前の私なら、この数字に絶望していたと思います。でも今は違います。体重の数字よりも、自分が楽に生きられる人生を選び、頑張りすぎない生活を送ることができるようになったんです。

毎日鏡を見て、ぽっこりしたお腹は気になるけれど、吐かなくてはいけない!という緊張やプレッシャーから開放された安堵があります。歳を重ねたせいかもしてません。もう疲れ切ってしまったんです。

同じ悩みの人がいたら

もし今、私と同じような悩みを抱えている方がいらしたら、いつか必ず楽になれる時がくるので、自分に絶望しないでください。

価値は、体型や外見ではなく、最後まで生き抜いたかが大事だと思っています。

私は進学校から短大、センスがない、友達もいない、紙袋を物入れにしていた、そんな私でも35歳から新しい人生をスタートできました。摂食障害はやっかいな病気です。でも、人生は何歳からでもやり直せます。

軽いダイエットのつもりが、その後の人生を病気の連続にしてしまう。これが摂食障害の恐ろしさです。そして自分で立ち直るしかないツラくて苦しい病気です。

最後に

摂食障害のツラさを経験した人にしか、その過酷な生活は理解できないと思います。頭の中は食べ物のことで一杯で、常に不安でたまらないんです。今は絶望で死にたいくらいツライかもしれませんが、必ず楽になる時がくるので、未来は明るいと思ってください。

あなたは絶対に立ち直れます。何歳からでも遅くありません。諦めないでください。

私のように何がきっかけで生活に変化が生まれるかはわかりません。もし引きこもっている時間が長い場合は、どこかに出かける用事を作ることで気が紛れます。家から外に出る必要があるレッスン系のものなら続けられるかもしれません。ヨガは、初心者でも安心して始められ、心身ともに健康をサポートしてくれます。私の回復のきっかけとなったヨガは、初心者でも安心して始められます。まずは体験から始めて みませんか?」

ホットヨガ

プロフィール

元JAL国際線客室乗務員として30年勤務。摂食障害との約20年間の闘いを経て、ヨガとの出会いで回復。現在は同じ悩みを持つ方々に向けて、体験談と希望のメッセージを発信していきます。2児の母。福岡県出身、現在53歳。