過食嘔吐の闇と向き合う日々 ―巨食症の開けない夜明け―

ダイエット
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過食嘔吐の日々

JALの国際線でキャビンアテンダントとして働いていた頃、華やかな制服の下で、誰にも見せられない闇を抱えていました。
笑顔の裏側に隠れていたのは、止めたくても止められない、過食嘔吐の繰り返しでした。

帰宅後、制服を脱ぐより早く冷蔵庫に向かう。
片手でサンドイッチを、もう片手でシュークリームを掴んで、泣きながら食べ続ける。
口いっぱいに食べ物を押し込みながら、涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「やめたい、でもやめられない」――
そんな声が、心の中でずっと叫んでいました。

とくにフライトが終わったあとは過食が酷かったんです。ストレスを解消するために食べて吐くを繰り返していました。
疲れきった体に罪悪感がじわじわと染み込んできて、辛くて辛くて仕方ないのに
無意識のうちにコンビニに立ち寄っては、菓子パン、カップ麺、甘いお菓子を両手いっぱいに買い込んでいました。

帰宅後の過食嘔吐

家に着くと、誰にも見られないようにカーテンを閉めて、また始まる過食嘔吐の連続。
「これが最後」と言い聞かせながら、何度も吐いて、そして倒れ込むように眠る。
翌朝は、顔がむくんで、喉がヒリヒリして、罪悪感だけが残っているんです。
誰にも言えない、見せられない、恥ずかしくて死にたいくらいツライ日々の繰り返しで、まるで地獄でした。

こんな自分を隠すために、
完璧な笑顔、完璧な接客、完璧な体型を保とうと、
余計に自分を追い詰めていた気がします。
あの頃は、「頑張る」ことしか、自分の価値を信じられませんでした。そしてそれを測ることができるのが体重計だったのです。毎朝乗る体重計の針が減っていれば、昨日の自分はよく頑張ったと褒めて、増えていたら、昨日の何が悪かったのか反省し、もっと嘔吐しなければいけないと自分を責めていました。

だけど、今ならわかるんです。

あの時、もし「ヨガ」や「瞑想」に出会っていたら、違っていたのかな、と。

自分の呼吸を感じること、とか、自分の心と静かに向き合うこと――
そんな習慣が、ほんの少しでも日常にあったなら、
自分を否定し続ける毎日じゃなく、
少しは「大丈夫だよ」と自分に言ってあげられたのかもしれない。

簡単には治らない

過食嘔吐の闇は、簡単に晴れるものではありません。
けれど、いつか夜が明けると信じて、
今日もこうして、言葉にしてみようと思います。

この文章が、誰かの目に触れて、生きていれば、いつか楽になれる時がくると信じていてください。

だから、もし私にとってのあの頃、ほんの少しだけ「自分の心と体をいたわる時間」があったなら。もし、たった30分でも、自分を責めることなく静かに呼吸する時間があったなら――
過食と嘔吐のくり返しじゃない、別の選択肢が見えたかもしれません。

私は2人目の出産後、ようやく私はその「選択肢」のひとつに出会えました。
それが、ヨガです。

呼吸を整え、体に意識を向けて、心の声にそっと耳を傾ける。
「今のままの自分でいいんだよ」と、誰かに言われるわけではなく、
自分の中からそう思える時間が、少しずつ増えてきました。

私は、ヨガスクール LAVA に通い始めてから、
過食嘔吐する回数が減りました。休みの日は2回も3回も過食嘔吐していたのに、ヨガをやり始めたことで、時間がとられ、夜1回の過食嘔吐に減り、それが2日に一回になった時、自分を信じることができました。

体を動かすことに集中していると、不思議と「食べたい」「吐きたい」という衝動も、
ゆっくりと静まります。

今はYouTubeがあれば、どこでもヨガができますが、過食嘔吐の人にとって外出することが大事なんです。引きこもって過食を繰り返すことをブロックする必要があるので、LAVAなら手ぶら体験レッスンもあるので、ほんの少し勇気を出せば、すぐにでも始められます。

《ダイエットいらず》のカラダへ。

心の傷は、急には癒えません。きっと死ぬまで罪悪感を持ち続けるんだと思っています。
でも、「癒し始める場所」を知っているだけで、
この闇から抜け出す一歩が、少し軽くなると思うんです。

どうか、あなたにも「心が呼吸できる時間」が訪れますように。

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